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清水秀子 / Hideko Shimizu
ヴォーカル / Vocal
オフィシャルサイト
http://sdeko.com/
母親のピアノにあわせて童謡を歌うのが大好きだった幼児期を経て、やがて自分でピアノを弾き、また中学に入るとギターで弾き語りを始めた彼女の周りには、いつも音楽があふれていた。
フォークソング全盛の高校時代には友人達とバンドを組み、母校の学園祭のみならず、他校のバンドとジョイント・コンサート活動なども行っていた。
73年: 20歳の時、友人のリハーサルバンドでスタンダードジャズを歌い始める。
76年: 大学卒業と同時に歌手としての道を歩き始め、10月のSOMETIME(吉祥寺)がジャズシンガーとしての初仕事となる。当時の共演者たちには佐山雅弘(P)、津垣博通(Key)、桜井郁雄(B)、斎藤誠(B)など、現在の日本のジャズシーンをリードしているミュージシャン達がいる。
78年: 佐山雅弘とボブ斉藤(Ts)との実験的なバンド "BOB & SINGERS"に参加。新宿・六本木ピットインにレギューラー出演。
82年: 自己のバンド"DEKORATION"を結成。サポートメンバーは佐山雅弘、斎藤誠、続木徹(P)、宮野弘紀(G)などで、ロバーラ・フラック、スティーヴィー・ワンダー、パティ・オースティンなどのレパートリーやオリジナルの曲も含めたポップな歌と演奏で、カーニバル(新宿)、バレンタイン(六本木)、T5(下北沢)をはじめ、地方でもファンを獲得。
83〜86年: ピアニスト渋谷毅との共演が増え、渡辺文雄(D)、中牟礼貞則(G)などと共に各地をツアー。
88年: 八木正生 & AFFAIRに参加。バレンタインにレギュラー出演。好評を博す。
90年: にっかつ映画「洛陽」の挿入歌レコーディング。
93〜98年: アバコ・ブライダルホール(早稲田)のサマー・ディナーショー(5夜連続)を彼女のプロデュースにより行う。
95年: ファーストアルバム「My Treat」をリリース。大徳俊幸(P)、斎藤誠(B)、関根英雄(D)、山口真文(Sax)の強力なサポートを得て出来上がったスタンダードナンバー集は、各方面で好評。ファン層をさらに広げた。
上記のほか、都内・地方を問わず、各ライブハウスやサマー・ジャズフェスティバル、X'masコンサートにおいて日本全国で活躍中。
大徳俊幸、斎藤誠、関根英雄とのトリオ活動がメインではあるが、その他にも辛島文雄(P)、吉野光昭(B)、村上修一(D)、小杉敏(B)、ジョージ大塚(D)などとのセッションをはじめ、吉田和男(D)とのボサノバのスター時や、渋谷毅とのデュオ、津村和彦(G)、米木康志(B)とのトリオなど、さまざまな活動を展開。
一方、95年より三宅裕司率いる劇団スーパー・エキセントリック・シアターのヴォーカルコーチとして、97年からはヤマハ・ミュージック・スクエアのジャズ・ヴォーカル講師として迎えられるなど、独自の実践的な指導で多方面の人々に歌うことのおもしろさを伝え、実践してもらうという活動も加わっている。
デビュー当初から優れたミュージシャンとの共演の機会に数多く恵まれ、啓発されつづけてきたことで、今日の彼女は存在している。
また豊かな清涼と才覚名英語で楽曲そのものの持つ詩・曲のよさをストレートに表現し、聴く人々に伝えている姿勢は同世代のミュージシャンだけではなく先輩格のミュージシャンからも強い信頼を寄せられている。そしてなによりも人を惹きつけているのは彼女の人柄である。
You can touch the "DEKO's WORLD" anytime !
SOMETIME (吉祥寺), PIT INN (六本木), NARU (代々木), BAR-BAR-BAR (関内) , GRECO (大塚), 赤いカラス (吉祥寺), PIANISSIMO (川崎), NARU (御茶ノ水) etc.
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