<Home> <Info. form Artists>

Artist Press Vol. 14 > 相曽賢一朗 / Ken Aiso

相曽賢一朗インタビュー
コンサートレポート: リサイタル(11月14日 東京文化会館リサイタルホール)  室内楽コンサート「シューマンと仲間たち」(11月25日 神奈川県民ホール小ホール)



相曽賢一朗 インタビュー
精神性の高い演奏とたぐいまれな美音。ロンドンを拠点に活躍する名手。


相曽賢一朗オフィシャルサイト:
http://www.rr.iij4u.or.jp/~aiso/ http://www.kenaiso.net/


演奏活動:ソロとオーケストラ ソロ活動 オーケストラ活動
チェリスト:スティーブン・イッサーリス
演奏するということ:宇宙からのメッセージをお客さんとシェアする
コンサートのワクワク感
音色へのこだわり
楽器の可能性
コンサートを終えて
教えること
自然と音楽にあふれた生活
とりあげていきたい作曲家



演奏活動:ソロとオーケストラ

ソロ活動・・・


Q:相曽さんはイギリスを中心にソロやオーケストラで活動されていますが、どのような活動をされているのですか?

まずソロ活動としては、基本的にはリサイタル中心です。イギリスではミュージッククラブがとても発達していて、各町の音楽愛好会がその町のホールなどで定期公演を開催しているんです。そういうところから呼ばれることが多いですね。規模的に小さいもので70〜80人、大きいとコンサートホールで300人くらいというものまであります。あとは各都市のオーケストラとの競演などもよくあります。「イギリスのリサイタル事情」として、そういった活動をしているイギリス人音楽家が多いですね。

Q 日本と比べて演奏する場が多いというか、活動できる幅が広くて、とても良い環境ですね。イギリス以外ではどのような活動をしていらっしゃいますか?

日本で毎年リサイタルを開くほか、オランダ、スウェーデンなどヨーロッパの都市でも活動しています。また2006年4月にはサンフランシスコでリサイタルを開きましたが、来年も行う予定です。


オーケストラ活動・・・


Qオーケストラでの活動も多いですが、イギリスでのオーケストラでの活動というのはどんな感じですか?

ロンドンではフリーランスの音楽家がとても多くて、それで生活していけるというか、それも普通なんです。世界的にも特別な例だと思いますが、優れた演奏家たちがそれぞれフリーでオーケストラ、室内楽、ソロ、レコーディングなどで活動しています。日本と違ってメンバー制のオーケストラは少なくて、給料制なのはBBCとほんの一部のオケくらいかな?それ以外の大きなオーケストラの中でもサラリー雇用されているのは奏者の半分くらいだと思います。オケメンバーの残り半分くらいはエキストラ契約で、1公演ごと、ツアーごとの契約が多いですね。

Qソロ、オケ問わず、今まで印象に残ったコンサートはなんですか?

昨年11月の神奈川県民ホールでのシューマン・プロジェクトでの室内楽・・・やっぱり、スティーブン・イッサーリスとの共演です。2002年にウィグモアホールでも室内楽を、あと1998年10月にはカザルスホール(日本)でラベルのバイオリンとチェロのための二重奏などを演奏しました。これらはすごく印象に残っています。
あとはエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団で、チェチリア・バルトリと「サリエリのアリア集」を録音して、そのCDの発売記念ワールドツアーをしたんですが、これはバルトリが本当に素晴らしくて、とても印象に残っています。



チェリスト:スティーブン・イッサーリス

イッサーリス・チェロ・リサイタルにて共演(1998.10.22)
提供: カザルスホール、 撮影: 小岩井善志

Qスティーブン・イッサーリスさんの演奏は、単なるエモーショナルな表現力というよりも、ソウルを感じる演奏で、すごいと思いました。あのようなアーティストはなかなかいない、という印象を持っています。相曽さんからみたイッサーリスさんとは?

そうですね、スティーブンは現代の演奏家の中でかなり特別な存在だと思います。精神性が高いし、昔のGR盤の時代の演奏家のような、演奏家自体のカリスマ性みたいなものがあると思うんです。僕はすごく影響を受けています。彼の場合、作曲家や楽曲についての歴史的な背景、事実をよく調べ上げて、それをよく理解したうえで演奏しているんです。感情にまかせることなく、テクニックにまかせることなく、理性も使いながら自分の情熱を楽器を通して表現しているということで、そこが自然に、他の人と違いがでてくる源なんだと思います。

「感覚や情熱のみで演奏する」ということはなくて、なぜ作曲家がこのように作曲したのかがよく考えられています。彼の先生も素晴らしい方だったらしくて、"作曲家が本当にその場にいるように"、生き生きと説明しながら教えてくれたらしいんです。彼自身も作曲家が生き生きとその場にいるように、そんな表現を目指して演奏していると思います。そういうところで彼はすごいと思うし、尊敬しています。

演奏するということ:宇宙からのメッセージをお客さんとシェアする


Q相曽さんが音楽を通して表現したいことは?ご自身にとって音楽とはなんですか?

僕にとって音楽を演奏するということは、「宇宙からのメッセージ」を自分が媒体となって、お客さんと一緒にシェアする・・・そんなことをやっているのだといつも感じています。人によっては「神からのメッセージ」や「作曲家からのメッセージ」だったりすると思いますが、僕にとっては「メッセージ=エネルギー」なんです。これは自分にとって、祈りの一種のようなことでもあるんです。「僕が何を表現したいか」ではなくて、音楽を演奏することによって得られる、そういった、宇宙や自然の秩序が作曲家の感性通して自分の中に入ってきて、それがそのまま楽器を通して、みんなのところに音となって飛んでいく・・・そういう感覚でやっているんです。それはやっていてとてもやりがいのあることだし、自分もその行為をすることによって、エネルギーをもらえる。そういったレベルでの聴衆とのコミュニケーション、別に僕がコミュニケートしているわけじゃなくて、何かと聴衆がコミュニケートしている、僕はその媒体だと思っています。
それと、百年、二百年前の作曲家が書いた、「音に托したエネルギー」みたいなもの、それを現在のこの空気の振動に変換して伝えていく、そういった、古い音楽の中に潜んでいるエネルギーを再生する。そういった役目みたいなことも、よく意識してやっています。
クラシック音楽でも、その作品が今、作られているように生き生きと表現される、そういう演奏を目指したいと思っています。


コンサートのワクワク感

Q:そうすると相曽さんにとってはコンサート・・・聴衆との交流の場が本当に大切なのですね。

あと、コンサートという場は、もちろん美しい音楽を聴く場所であるわけだけど、みんなが一同に会する場所でもありますよね。例えばそこで昔の友達との再会があったり・・・一期一会の場であるという、この場の存在がとても大切なことだと思うんです。特に現代生活において、みんながひとつの場所に集まって、1つのものを聴いて、心をひとつにして、2時間なりを過ごして家に帰っていくということは、とても貴重な体験だと思うんです。
今は個人個人がバラバラで、音楽というと「家でPCとipod」みたいな・・・そういう閉じこもった生活をしている人たちが多いような気がするので・・・。
やっぱりコンサートに行かないと味わえない、ワクワク感があって、それが実は一番大切なところだと思うんです。

Qやっぱりどんなにすぐれた機器で録音しても、デジタルに落とすと変わるし、その場の実際の臨場感は再現できないですね。録音は全く違うものですね。その場の空間、空気は再現できないというか・・・。

そう、全く違うものです。それと最近のCD、スタジオ録音は、ほとんどのものはたくさん編集してあるんです。そうなるとモンタージュ写真のようで全然演奏じゃなくなってしまう。
昔の録音は、スタジオに入って一回弾いて、「はい、おしまい」。そういう録音はやっぱりすごいですよね。そういう録音には、ライブみたいなワクワク感も録音されているんだけど、現在のCDに、どうしてそういうワクワク感がないかというと、まあデジタルだからということもあるけど、あまりにもツギハギだらけだから。だから面白くなくなってしまう。そういうことがあって、自分の録音はできるだけライブにしたいと思っています。それで去年の東京のコンサートはライブ録音したんです。とりあえずあれは、なんとなく臨場感があるでしょう?

Qありました。あの時、弾かれていたグァルネリ・デル・ジェスの音色も素晴らしかったです。


音色へのこだわり


Q相曽さんの音色がとても美しくて、清涼感、透明感があると感じています。

どうもありがとう。

Qご自分の音色、こういう音を出したいというこだわりはありますか?それとも、やはり自分は媒体という意識でいて、音色についても自然に出てくるものですか?

基本的には自然に出てくるものなんだけど、やっぱり透明感のある音。例えば古い大きな教会やお寺に行った時に感じる、スーッと自分の中が浄化されるような、僕はあの感覚に結局は到達したいので、そういうイメージの音があるのかな、やっぱり・・・。


楽器の可能性

ムンツを弾く

Q昨年のグァルネリ・デル・ジェス(1736年製の銘器「ムンツ」)、素晴らしい音色で、「ひと伸びちがう」と感じました。

あの楽器は、日本音楽財団のご厚意でお借りしたものです。やっぱり良い楽器というのは深みもあって、輝きもあって、大きい音も出るし、小さな音もでるし、なんでもできる。幅の広がり、懐の深さがあって、特にグァルネリ・デル・ジェスというのは、そういう楽器です。やっぱり一番違いがわかるのは演奏家自身だと思います。弾いている時、楽器からのインスピレーションが来て、それによって自分の演奏が変わる。そこが銘器と言われる楽器のすごいところだと、あの楽器を借りていて思いました。で、それは楽器を返した後でも自分の中に残っているんです。もう自分が変わってしまったんです、あの後。自分のバイオリンに戻って弾いていても、弾き方とか、音のアイデア、表現のアイデアみたいなものが、変更されているから、「こういうことができるはずだ」と思って研究すると、それまでとは全然違う結果が出てくるんです。不思議というか・・・でもこれは本当のことです。






Qそれはすごいですね。銘器というのはそういうものなんですね

銘器というのはそういう可能性がある、ということなんです。

Qあと、思ったとおりの音色、思い描いている音色が、スッと出るのが銘器、という印象もあるのですが?

それは楽器によって違うみたいです。そういうふうに、スッと出るのものもあれば、そうでないものもあります。ストラディバリウスなんかは、また違った例で、「私はこういうふうに弾いていただきます」というような「楽器のプライド」みたいなものがあって、それをマスターしないとダメなんです。でも、あのくらいのクラスの楽器になってくると、なんかその楽器の精霊みたいのがいて、で、バイオリンの方がとにかく自分なんかよりもよく知っているわけです。過去300年間、一流の演奏家によって引き継がれて来て、いろんなところを回ってきて、なんかそういうものがあって、楽器に教えられることがたくさんあります。

面白い話があって、ヴィオラ奏者の家内が使っているヴィオラは1666年製のドイツの楽器なんです。ということはバッハの誕生よりも前に出来たことになるわけなのですが、初めて弾く難しい曲でも、「自分は弾いたことがないのに、ヴィオラの方が自然に弾いてくれる」ということがあるそうなんです。きっと、そのヴィオラで昔よく演奏したことがある曲なんじゃないかって。ちょっとミステリー的な話ですが、その辺のところに僕は興味があるし、さっき言ったように、演奏は宇宙的なエネルギーで自分はその媒体であるとしたら、これもその一環で、やっぱりいろんなところから、原子・分子のレベルでのエネルギーのコミュニケーションをしているような気がしますね。

Q普段、使われている楽器は?

1810年頃 パリで作られた ニコラ・リュポです。かれこれ20年近く使っています。

Qご自分にとってどういう存在ですか?

ずいぶん長いこと一緒に、いろんなところで・・・戦友というか、いろんな場を一緒に切り抜けてきたパートナー。やっぱり勝手は知っているし、あれがなくなったら困ります。(笑)とにかく使い慣れているから。このくらいやればこうなる、ということが解っているから、それはまあ、頼りになります。(笑)

もちろん、新しいバイオリンを弾く楽しみもあります。ただ、初めての楽器は不意打ちされることもあって、「あれっ」って(笑)、まあ、その偶然性を楽しむということもあるんですが。


コンサートを終えて


コンサート後のサイン会にて

Q今回のコンサートを終えての率直な感想を聞かせてください。

毎回趣向が違うんですが、今回2つ違う点がありました。まずプログラムをウィーンの古典派、モーツァルトとベートーベンのソナタを中心にした、ということ。今までは、クラシック音楽の核心にあるこれらの作曲家の"作品の真価"を問う演奏ができるか自信がなかったので、あまり取り上げませんでした。しかし今回、とても弾いてみたくなったんです。

いつも、その時に自分が弾きたい曲をプログラムにするようにしています。例えば4年前は上尾直毅さんとバッハの「バイオリンとチェンバロのソナタ全曲」、そして一昨年もエネスコのソナタを演奏したりしています。いつも僕のコンサートに来てくださるお客さんにとっては馴染みの薄い曲だし、聴きづらいかな、とも思ったんですが、でも結局のところ、自分がその時々、やりたい曲をやらないと、そのエネルギーの換算率が悪くなると思うんです。そして自分が完全燃焼していれば、そのもらったエネルギーをファーッと「火事場のバカ力」みたいな感じで出すことができるんです。思いもよらないとっさの力でうまくいくこともあって、そのとっさの力みたいなものを、もっと活用するように、最近は心がけています。

あともう一点、今年はピアニストのネルソン・ゲルナーさんとも初めてだったんです。もちろん彼はとても素晴らしいピアニストですが、彼とはとても馬が合ったんです。彼とは、ステージ上でその場の雰囲気をつかみ、即興的な要素も含めながら演奏できたと思っています。

Qまさにワクワク感のあるコンサートだったわけですね。


教えること


Q今、日本の教え方という話がでましたが、相曽さんはレッスンされる際、どのような方法をとられているのですか?
※バーミンガム音楽院および英国王立アカデミーにて教える

僕の場合、まず出来ることをやってみてもらって、良いところを探して、それを伸ばしていくことが大事だと思っています。その上で、出来ていないところ(悪いところ)を直していく、もしくは目立たなくなるようにしていく。小さな子供に最初から教えるということはあまりやっていないくて、教えているのは、18歳くらいからの音楽学校の学生。だからよけいに、今あるものを伸ばしていく、という方向で教えています。

教えるということは、今まで自分が習ってきたことを自分なりに消化して、それを説明できるようにして、伝えていくということだから・・・やっぱり何百年昔から、代々続いてきたヨーロッパのバイオリニストの、音楽家の系譜のどこかに自分も組み込まれて、後の世代に伝えていけるということは、とてもスリリングなことです。しかも日本人の私が。(笑)

教会で一人ひとり、キャンドルに灯をつけて回していく・・・あれだと思うんです。僕も灯を先生方からもらったし、それを自分で燃やして、次の人たちに灯してあげる。それが何百年も続いていけば、ものすごい灯の量になると思うんです。教えるというのは、なんかそういう感覚でやっています。

Q教えるのは楽しいですか?

とっても楽しいです。

Q教えることが自分にとって勉強になることもありますか?

もう、それのみですね。本当に教えていると、僕がレッスン代払いたくなるくらい、習うんです。「あ、いいこというなあ」と自分が言っているというより、だれかが言ってくれているみたいな感じで、で、自分もその練習したりするわけです。あとやっぱり次の世代の人たちと交流をもっているということは刺激になるし、とても楽しいですね。



Q:(記憶にある中で)一番古い記憶に残っている音は?

3歳の時:パリのノートルダム大聖堂で聴いたオルガンの音。音楽以外では、幼少の頃聴いた近所の踏切の音(サイレン)。


Q:はじめて感動した音楽は?

12歳くらいの時。オーケストラで弾いたリストのハンガリー狂詩曲。


自然と音楽にあふれた生活



Q演奏活動や教えることなど、相曽さんの生活全体に音楽があふれていて、音楽を楽しみながら、とても素晴らしい環境で生活されていますね。

そうだと思います。あと、最近の僕の生活で大切な一部になったのは、今、住んでいるところがものすごい田舎なんですよ。周りは街灯もないし、隣の牧草地には羊や牛がいて、夜はふくろうが鳴いて狸が出て・・・。卵もお隣が飼っている鶏の卵を食べて、野菜も近所の人が作っているものを食べて、牛も近所の人が飼っている牛を食べて、パンは隣村で焼いているのを近くのパブで買ってきて・・・みたいなことができる生活なんです。星は降ってきそうな勢いで見えるし・・・。今まで、都会というか自然ではないところで育って生活してきた自分としては、田舎での生活に、すごく影響受けています。暖房だって、蒔をくべているんですよ。

Q「人そのものが音楽」ですから、「音楽」もそれで変わってきますね。

そうなんです、結局。本当にそのとおりだと思う


とりあげていきたい作曲家


Q今、興味がある作曲家、これからとりあげてみたい人はいますか?

やっぱりバッハをもっと弾きたい。いつも弾き続けていたいですね。あと僕はハイドンが好きなんです。だからハイドンのカルテットは向こうで(イギリスで)よくやっいます。最近、古楽器、クラシカルなこともよくやっているので、これからはもっと古典のもの、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどをとりあげていきたいです。そろそろ人前で古典を演奏してもメッセージを伝えられるかな、という時期にさしかかってきていると思います。だから今年の日本でのリサイタルは、そういう意味でも大切だったかもしれません。もちろん19世紀末、20世紀あたりの、フランコ・ベルギー派、フランクやイザイもとても好きです。


(インタビュー実施: 2006.11.23)

Interview & Photography by Asako Matsuzaka
Special Thanks to Masuo Aiso, Akiko Aiso, KAJIMOTO CONCERT MANAGEMENT CO., LTD.
Copyright (C) 2007 Global Artist Network. All rights reserved.